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2011 season 実体験レポート

奇跡の旅路 その1 ミラノからヴェネツィア。そして世界遺産アマルフィ海岸へ

                          2011.7.30〜8.14(16日間)/豊田武久・瑠美

 

 >> 「奇蹟の旅路」 その2。シチリア編はこちら。




■奇蹟(きせき)の旅路(たびじ)      豊田武久・瑠美


これ程の連続した奇蹟を経験したことが過去にあっただろうか。神様が「全ては整ったからいらっしゃい」と招いてくださった錯覚にさえ陥る、それ程に感動し胸を打ち震わし、陶酔した思い出を我々に与えた夢の中を行く珠玉の旅路(たびじ)であった。

 

Milano〜Taorminaへと周遊の旅を続けながら、各地が長い歴史の中で栄枯盛衰を繰り返しながらも幾たの苦難を潜って来たのか、だが今なお持ち続けている宗教色が(キリスト教、カトリック等)濃くて、さすがローマ法王が君臨する精神文明を基盤に、華美で想像出来ないぐらいのとてつもないもの。世界遺産を数多く所蔵する国。芸術・文化・建築・料理の宝庫であり、美を追求し創造して、現世で人生の喜びをすべて開花させた、人生を謳歌した機知に富んだイタリア人達の壮絶な生きざまにこれでもかと訴えるその姿にすっかりと心の芯から麻痺し、酔いしれた瞬く間の時の流れであった様に思える。

 

その旅行を力強くサポートしてくれたのは、我々の希望を理解し、無理のないスケジュールを作成してくれたことだった。その企画力はさることながら、行き届いた思いやりのある配慮のお蔭で楽しい夢のような旅行が出来たのだと痛感している。

 

旅の途中に急遽リクエストしたにもかかわらず、見事に実現させてくれた即戦力は素晴らしかった。終始、イタリア旅行社のお蔭だと信じている。又、16日の旅程の間、輝くような快晴が続いたことも大きな要因だったのかも知れない。本当に幸せだったと思っている。

 

■華麗で繊細な(尖塔を含む)ミラノのDuomo=ドゥオーモの楼上にて

漏れ聞こえる讃美歌に思わず傾聴し、清純な天使達を想像し、救済へのプロローグを感じた事と、世界史上、あまりにも有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの像が広場に残っていて、ミラノの人達は敬意を払っている事を知った。彼が30歳の頃に過した所で、その頃に描いた世界中の人々にとって重要な「最後の晩餐」をChiesa di Santa Maria・delle Grazieで鑑賞出来た事は何ものにも喩ようのない厳かな感動を覚えた。   Teatro alla Scalaの中では多くの芸術家・音楽家達の息吹きを肌で感じることが出来た。

 

 

■ ミラノ駅では電光掲示板での案内が遅く

駅中の雑踏の中で、イタリア語が出来ない我々にはとまどいがあり、何番からベネツィア行きのユーロスターに乗ればいいのかが分からなかった。ようやく滑り込みセーフで乗り込むことが出来た。しかし、途中にはシェクスピアの「ロミオとジュリエット」で有名なヴェローナも通過して、ラグーナが見えて来た。

 

映画「ツーリスト」の中で数学教師が辿ったような列車での移動に胸がワクワクした。創造からして避難民が何万本の松の木の杭をラグーンに埋め込んで作り上げた立地条件は不思議だった。その上に見事なBasilica di San MarcoやPalazzo Ducaleを建設し、芸術家達に始まり、全世界からの人々の羨望を掌握させた、Mar Adriatico(アドリア海)の女王、世界遺産であるComune di Veneziaを堪能出来た事。サン・マルコ広場で雑多な外国人の混雑の輪に入り、又、Muranoを初め実に巧みに作られた細い運河をゴンドラで乗り回し、過去に生きた人々の創意工夫を感じた事。遠くイギリス近くまで航海したことは、シェクスピアの「ベニスの商人」を読んでも察しがつく。

 

美を生み、水と生き、人生を愛したベネツィア人達。中でもMuranoでは1000年も前にガラス工芸を奨励され、その為に収容され、保護された職人達の努力の痕跡がある。そのガラス工房に足を踏み入れた。魂の籠った輝きに圧倒され、緑地(みどりじ)の花柄付きデキャンタとワイングラスセットを買い求めた。特に鐘楼からの夕日は格別だった。中でもHotel Ciprianiの庭園から見た朝日はサン・マルコ近くから上り立つ三位一体を思わせる三筋の光に心が洗われるような気持ちがした。

 

町のシンボル、ライオンが前足を陸地に後足を海に置き、羽の生えた凄味のあるその姿に避難した人々がいかに切なる思いを表現したかったのかを知った。陸地と海の統治願望を込め、雄々しく駆けるライオンに思いを馳せたのではなかったかとも考えられた。

 

イタリア周遊旅行ヴェネツィア、ゴンドラに乗る

 


 

■ナポリでは卵城の正面に宿泊できた

ナポリではNormandieが築いた卵城の向かいに宿泊出来たことで、歴史の変遷が垣間見られたし、Capliでの筆頭は断然、入場の困難さを聞いていたGrotta Azurra(青の洞窟)に一回で入場出来たことはとてもラッキーで、ここにも神様の招きを強く感じた。格段と神秘的に輝く真っ青な水面を見て表現の出来ない位、驚愕すると同時に最初に発見したドイツ人の探検家はどんなに驚いたことだろうか。

 

昼食にはこの日のガイドがよく知っていたレストランで料理長の特別配慮が受けられた。 次の日、ナポリから午前にIl monte Vesvioに、午後にはPompei(ポンペイ遺跡)をたった一日でかくも有名な遺跡を訪ねられたことは信じがたい程の夢の中の行程だった。ガイドが懸命に手配してくれたお蔭で、彼女の友人がポンペイのガイドで丁度、その日が都合が良いという降って湧いたような幸運が古代の世界へと誘ってくれたのであった。

 

それにしても、一夜にしてあれほど偉大な文明を有する町が途絶えるまでに火山灰で埋め尽されるとは誰が考えたであろうか。

 

その夜、ホテル・ベスビオまで以前、日本語を指導した学生Annalisaが恋人と一緒に来てくれ再会を果たせたことはまるで、イタリアへの旅を誘導した天使に会った様で気持ちが和(なご)み、感動のあまり涙っぽくなった。ナポリを立つ前、かの有名なGoethe(ゲーテ)が「ナポリを見て死ね」とその美しさに讃美したエルム城からの眺望を堪能出来た。

 

 

ナポリ、卵城が目の前に

■世界遺産に登録されたアマルフィ海岸の

断崖絶壁の中に実にうまく教会や多くの建物を建設した、渓谷美の中、いち早く海洋貿易港として栄えたAmalfiを訪ねて、未知のGrotta dello smeraldo(エメラルドの洞窟)に遭遇することとなった。
水面が得も言われぬ緑青の水を讃えて居た。

 

夜はRavelloで音楽祭が開催されていたので、コンサートに出かけた。その劇場は野外劇場で音と雰囲気が相乗効果を盛り上げて居た。おめかしをした観客達と「ベッサメ・ムーチョ」を声を張り上げて何度も輪唱したことで日伊間の友情が通い合ったように思えた。その劇場は昔、Wilhelm Richard Wagner(ワーグナー)が住んでいた為、ワグナーの館とも呼ばれていた。

 

最初、既に満席だったが、私達の為に急遽、席をにわかに作り上げてくれるという心の籠った配慮は驚くべきものであった。中庭に大きなレモンが実っていたホテルで宿泊した。

 



■アマルフィからポジターノ、ソレントへ船で

イオニア海=Mare Ionioを観光船の甲板から眺めた。清純無垢なエメラルドの海、遮るもののない水平線を進むとやがて、昔は漁師の町だったが今は有名な保養地、Positanoの港町が近づいてきた。

 

上陸し、散策しながらその風情に酔った。最初に絵画店に立ち寄り、ポジターノの風景を描写した一枚の絵に目が止まり、魅せられて買い求めた。その色彩の鮮やかさは南イタリアを如実に伝えるものと確信出来た。その場に居合わせた画家の誠実さは洗礼を受けた時のように清らかで、とてもインパクトがあった。

 

又、婦人服屋ではポジターノファッションと言われるリネン素材の緩やかなシルエットの服を買った。昼食にモツェレラチーズで有名なレストランに入り、又、昼食後エメラルドに光り輝く海を堪能した。その後、岬を回り、Sorrentoへと向かった。

 

[Toma a Sorrento(帰れ、ソレントへ)]という歌曲でも知られたソレントの海は言葉では言い表せられない程の深い青さを持っていた。海洋都市である一方、木工品でもよく知られていた。町の中をショッピングの折、有名な手造りの素朴なピノッキオを偶然に見つけ出し、そのルーツともいうべきあどけないその人形に魅せられ購入した。

 



■ナポリからシチリア島パレルモへ

ベテランのドライバーがナポリ空港へ向けて車を走らせた。車中から空と海とが融合する珠玉のナポリ湾の聖水が殺伐とした社会に住んでいる我々の心に救済をもたらしてくれているのだと悟った。

          >> 「奇蹟の旅路」 その2。シチリア編に続く

 

 

イタリア周遊旅行、ナポリ湾、ヴェスーヴィオをのぞむ

 

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