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レンタカーで行くアグリツーリズモ
ヴィラ・ディエヴォレの滞在感想記
2006.8.22〜8.27(7日間)/滝沢 紘介



アグリツーリズモを希望した私たち夫婦(64歳と63歳)がイタリア旅行社のお世話になって、2006年8月22日(火)から5泊、トスカーナ州のシエナ近傍ヴァリアリにあるディエヴォレ農園に滞在した。日中はレンタカーを使ってシエナ、フィレンツェ及びサン・ジミニャーノに日替わりで出かけて過ごした。農園ではのどかで豊かな自然のたたずまいの中で身も心も解放されながらとても楽しく過ごすことができ、期待どおりのものであった。以下には滞在した農園についての情報と感想を中心に記す。


■ヴィラ・ディエヴォレに至る道

レンタカーは22日朝フィレンツェ空港のHertz事務所で借りた。日本からコンパクト・カーの予約指定に対して、配車されたのはベンツC220(ディーゼル・エンジン、排気量1800cc)だった。初めて乗るメルセーデス・ベンツは、エンジン音は静かでガソリン車と何ら変わりなく、加速もスムーズだ。空港から片側2車線の高速道路(*1)を慎重運転で走ること1時間ほどで、降り口のシエナ・北に着く。

一般道に出て、イタリア旅行社作成ガイドシート「ディエヴォレへの道のり」を見ながら進むが、「出口にて左折(止まれの標識で左折)」のポイントが日本ではなじみのない信号機のないロータリー式交差点だったために左折要領に戸惑った。(*2) その次のポイント「Vagliagliの標識にて右折」の箇所ではその標識を見逃して行き過ぎてしまい(*3)、いくら走ってもそのポイントが出てこないので「おかしいな」と気付いて引き返して、Vagliagliの標識のあるT字路を見つけることができた。

ここからはゆるやかな丘陵地帯の中を道なりに走る。センターラインが引かれた片側1車線の道路の両側にはブドウ畑やオリーブ林がはるか遠くまで広がっている。「これがトスカーナだ!」の風景を楽しみながら快適に走ることができた。途中にここもアグリツーリズモと思われる農園の看板が何カ所か出てきた後、Vagliagliの村に到着。 ガイド・ブックにあった、目標とする黄金色文字「DIEVOLE」の大きな看板が右側に出現した。「着いたぞ!」と妻に声をかけ、初めての国、初めての土地を運転してきた緊張感から解放される。そこからは未舗装の砂利道。土埃浴びて真っ白になった並木の間の道を下り、ブドウ畑の中の道を進んでいくと、前方にディエヴォレ農園の建物が現れた。

(*1) 空港からはまずローマに至るAutostrada Aに入り、インターチェンジFirenze CertozaでSuperstrada Firentze-Siena線に移る。通行料金は、Autostrada区間は1.1ユーロ、Superstradaは無料だった。慎重に走ったので、他の乗用車にはビュンビュン追い抜かれたが、イタリア人の運転が格別に荒っぽいという印象はなかった。ただ、ほとんどの車は追い越し後に路線変更合図を出さないで走行車線に戻り、この点は日本と運転マナーの相違を感じた。

(*2) 今回走った範囲では、市街地を除いてはすべてロータリー式交差点だった。環状路に入っている車優先で走ればいいことはわかっていても、慣れるのには場数を要した。

(*3)  他の地名も含めて白い木製の標識が道路両側に10枚前後も併置されていたこともあって、走りながらの確認は難しかった。一旦停止して確認すればよかった。



■宿泊施設

受付についたのは、12時前。受付担当者は英語で対応してくれる。「チェックインは午後4時からだけど、部屋の準備が整っておれば入室OK」ということで、別の従業員が部屋を調べに行った。この間、隣室のバールで飲み物のサービスを受ける。調べに行った人がしばらくして戻ってきて、笑顔で入室OKの合図。 希望したCASA OLIVOは、外壁に赤や緑の落ち着いた色のツタがからまったレンガ作りの二階建ての上階にあり、中に入ると空気がひんやりとしていて心地よい。ミニ・テーブルの上には「滝谷夫妻歓迎」のメッセージ・カードがフルーツバスケットと農場製の赤ワインボトル1本に添えて置かれていた。気配り行き届いた受け入れである。(前記の部屋チェックに行った人はこれを準備しに行ってくれたようだ。)

部屋の作りは、ダブルベッド、クローゼットにミニ・テーブルのある居室と小キッチン室、一番奥にシャワー&トイレットという3部屋に仕切られている。エアコンはなく(暖房用温水ヒータはあり)、大型扇風機が1台置かれている。今回、キッチン付きをとくに希望して選んだ部屋なので、早速キッチンをチェック。電磁式コンロ2台、湯沸かし用電気ポット、ミニ冷蔵庫、それにクッキングセットとして鍋、フライパン、ヤカン、包丁、皿、コーヒーカップなど一通り備え付けられている。

実は、施設のホームページを読んでCASA OLIVOを選んだ時、「昔使っていたstable(馬小屋)を改造した」とあったので、果たしてどんなふうなのか一抹の心配(馬の残り香(?)でも漂ってこないかなど)があったのだが、部屋に入って一瞬にしてこの心配は消えた。淡い茶色のタイル張り床、漆喰の白い壁、木製の家具類、それにシャワー、トイレットも含めてすべてよく手入れされていて清潔だし、東向きに明るい窓があり、天井は高く、ドアや壁の厚みも隣室の音の遮断に十分のようだし、これはもうアット・ホームで居心地のいい客室だ。馬小屋の名残はどこにも見られず、よくもうまく改造したものだと感心した。この第一印象がまちがっていなかったことは5泊して確かめられた。





■食事

夕食:
最初の二日間は、施設のレストランでとった。宿泊客だけを対象にしたレストランなので、予約を求められた。

第一夜は、レストラン横にある芝生のガーデンに設けた席に案内された。心地よい風に吹かれ、丘陵の彼方に沈んでゆく夕日を眺めながらの食事だった。料理選択用のメニューはなく、当日のシェフ特製コースが出された。飲み物には赤ワインを注文し、まずは妻と二人で無事に農園到着の乾杯をする。前菜にはチーズ・生ハムにルッコラの付け合わせが出た。次の一皿目の料理(primo piatto)はパスタで、スパゲティ・ミートソース。スパゲティは固ゆでで歯ごたえがある。これが本場のアンデンテなんだろう。二皿目の料理(second piatto, 主菜)はフィオレンティーナ・ステーキだったが、私たちは前菜とともにパンも口にしていたし、スパゲティを平らげた時にはもうお腹十分になっていたこともあって、これはパスした。(最初に「妻が動物の肉類が食べられないので、魚の料理はできないか」と尋ねたところ、「魚料理はできない。カモかラビット(兎)はどうか」という返事があった。もちろん妻はどちらもダメなため、主菜をどうするかについては「料理を食べながら決めるのでいい」ことになっていた。) デザートにはジェラートを選んだ。色や味の違う3種類が山盛りになった少しネットリ感のあるおいしいアイスクリームだった。初めての夕食は、この地方特色の味覚(*4)と雰囲気を楽しんだひとときだった。

第二夜は、ワイナリー貯蔵庫内で開かれるディナー・パーティに参加した(*5)。予約制で、この日は一人45ユーロ。申し込み時に、肉類中心のメニューと聞いたので、肉類を受け付けない妻のために何か工夫してもらえないかと相談したところ、ベジタリアン・メニュー(*6)を用意してくれることになる。
開始の7時半、昼間に参加したワイナリー・ツアーの時に中に入ったワイン製造・貯蔵庫の前に集まった。案内されたのは、レンガ作りの貯蔵室を改造してテーブルを長手方向にズラッーと並べた場所。 約50人くらいの参加者だっただろうか。施設のマネージャがグループごとに座る席を決めて案内する。席につくと隣や向かいのグループの人達と互いに軽く挨拶を交わす。ディナーのコースは、前菜のスープから始まり、パスタ、生ハム、チーズ、主菜のステーキ、デザートのドルチェ、ジェラートと次々に盛りだくさん出てきて、お腹いっぱいになる。
この日のディナーの雰囲気を格別に楽しくしてくれたのは、マンドリンとギターのミュージシャン・デュオ。マンドリンは70才前後のおじいさん、ギターは中年の男性で、私たちにもなじみのあるイタリア民謡やジャズ、フォークソング、映画音楽などをディナーの最初から最後まで、小休止を二、三度はさみながら、数えてはいなかったけれど30〜40曲になるだろう、愉快に軽やかに演奏し、歌ってくれた。貯蔵庫はレンガ造りのトンネルなので音響効果は抜群。デュオの歌声と楽器の音がよく響きわたった。マンドリンがこんなに軽やかに、自由自在に、メロディーにも伴奏にも使え、ギターともよくアンサンブルすることを初めて知った。

その後の3日間の夕食は、今回こだわりの「キッチン」を使って自炊した。その中身は、ゆで卵や塩漬けイワシ入りの野菜サラダに、パンとワインとフルーツ、それにコーヒー、ジュースというシンプル・メニューだったけど、私たちにとっては質・量ともに好きなように用意でき、これで十分だった。食材は、車で観光に出かけた時に見つけたシエナの大きなCOOP(生協)とローカルタウンにあった小さなCOOPで購入した(*7)

(*4) パンを例に取ると、日本で食べ慣れたパンに比べると、塩気に乏しく、ちょっと味気ない感じがした。しかし、後でガイドブックを読むと「トスカーナでは、昔からパンにまったく塩味をつけない。味の濃い料理を無塩パンと共に食すのが、トスカーナの伝統だ」(週刊朝日百科、世界100都市、シエナ・トスカーナ地方、p.22)とあり、合点がいった。

(*5) 毎週水曜日と金曜日にはディナー・パーティが催されているとのこと。予約申し込みにあたり、妻が「パーティ用の服は持ってきてないのだけど、問題ないか?」と尋ねると、服装はキャジュアルでOKとの返事。実際にほとんどの参加者がキャジュアル姿であった。

(*6) このベジタリアン・メニューは、濃厚な味のチーズなども出てきて、あまり楽しめるものではなかった。肉を食べない人のためのメニューにはもう一工夫ほしい。

(*7) 今回まわったBagliagliからSiena周辺では、小売店や市場を見かけることがなく、ところどころにあるCOOPが日常生活品の購入場所になっている印象を受けた。


朝食:
イタリア旅行社がセットしてくれた宿泊は朝食込みであり、毎日、施設のレストランでとった。ビュッフェ・スタイルになっていて、作り方の異なった何種類もの生ハムやサラミ・ソーセージにチーズ類、玉子は目玉焼きと炒り玉子、時にオムレツ、各種パン、それに生野菜、フルーツ、ヨーグルト、コーヒー、ティー、ジュースなどが用意されていて、好きなものを好きなだけお皿にとってきて食べる。テーブルは室内にもあるが、好天に恵まれたので、私たちはいつも庭にセットされた席を選んで、さわやかな朝のオープン・エアの中で頂いた。サービス係の女性達(一人はオーストリアからシエナに留学に来ているというキュートなアルバイト学生)の対応も感じよくて、この朝食タイムもまた十分に満足できるものだった。


■コミュニケーション……ディナー・パーティを通じてイタリア人と知り合いに

前述のワイナリーでのディナーで私たちが隣り合わせたのは、両親がイタリア出身のカナダ人青年男性とそのイタリア人従姉夫妻・子ども達の一家。その青年は空手2段の腕前で、道場の本部がある大阪を訪ねたい希望を持っていて、日本のことも含めて英語でいろんな話をした。アドレス交換をしたが、この青年はそのうち本当に来日しそうである。従姉の方も英語を流暢に話し、イタリアにある浪越徳治郎の流れを汲む指圧教室に3年間通ってその技術を身につけ、指圧がたいへん体にいいことや、イタリアと日本の子どもの教育の特徴の違いなどについて話がはずんだ。

向かいの席には、コモ(ミラノの北方、スイスとの国境近くの町)から来た中年のイタリア人夫妻。この人達はしばらく周りの人に話しかけることもなく、英語は話さない模様。妻がイタリア語(NHKラジオ講座入門コース学習中)で声をかけ、コミュニケートをはかる。私たちが日本で見て、今回のフィレンツェやトスカーナへの旅のきっかけの一つになった長編イタリア映画「La Meglio Gioventu(邦題:青春の輝き)」の話もよく通じ、これは嬉しかった。この夫婦とはその後も朝食前後に何度か出会い、アドレス交換をして、帰国後も手紙をやりとりし、私たち夫婦にとって初めてのイタリア人の友人ができた。これはディナー・パーティに参加した大きな収穫だった。



■その他

夜の暗闇と星空:
農園内は外灯がなく、夜半に外に出ると漆黒の闇。空を仰ぐと、満天の星空??数多の星座も天の川もはっきり見える。不夜城化した日本の都会ではもはや見ることができない悠久の宇宙の輝きに久しぶりに接し、これもまた感激ものだった。

ブドウ畑とオリーブ林、それと1本のイチジクの木:
農園にはブドウ畑とオリーブ林が果てしなく広がっている。ブドウはよく整枝、摘果され、房は地表1mあたりの低い位置にたわわについている。品種はこれがトスカーナの赤ワインで名の知られたサンジョヴェーゼだろうか、うっすらと白い粉を吹いた黒い小粒の実は完熟間近というところで、口に入れてみると、芳醇な甘酸っぱい味がサッーと広がり、いいブドウ酒ができることがよくわかるような気がした。オリーブの実はまだ淡い緑色で、黒く熟すには次の季節を待たないといけないのだろう。
別の宿舎の庭に1本イチジクの木があり、実がたくさんついていた。根元には落下した実も多数あって、食用に育てている気配はない。もいで試食したところ、緑色の外皮は触っても固いのに、中身はよく熟していて、驚くような甘さ。日本では見たことのない品種だが、これまでに食べたイチジクでいちばんおいしかった。

ウォーキング:
ワイナリー・パーティで知り合ったカナダ人の男性は、甥っ子達をつれて連日マウンテン・バイク(農園でレンタルあり)のツアーに出かけ、農園から山の上の方を目指してゆくと素晴らしい風景が望めた、と私たちにもそれを奨めてくれた。私たちはマウンテン・バイクに乗ったことがないこともあって、徒歩で農園周辺を歩きに出かけた。農道の傍らに小さな聖母子像の祠があり、日本のお地蔵さんの祠と同じようなたたずまいだ。信仰の対象は違っても、土地の人たちに根づく信仰の心には共通するものがあることを感じた。丘を下って森の中に入っていくと、人が住まなくなったレンガ造りの農家が朽ちはてた状態で放置されていた。その近くの藪には自生のブラックベリーが一杯熟した実をつけていた。おいしいジャムができそうだ。さらに行ったところで小さな沢に出たが、このところ雨が降らないようで水量はごくわずか。このあたりで、妻がブヨのような虫に腕を刺され、赤く腫れてきて痒みも出てくる。長袖でくればよかったと後悔しながら、ウォーキングは切り上げ、持参してきたキンカンを塗りに宿舎へと急いだ。(症状は一過性ですみ、日本のブヨのように後になってひどく腫れ上がることはなく、幸いだった。)



プール:
ホームページに「スイミング・プールあり」とあったので、水着を持参した。せっかく持ってきたのだからと、滞在最後の日の午後、敷地内に2箇所あるプールのうち、高台にある方に行って泳いだ。縦横20m×10mくらいの大きさだろうか。ミニプールではあるが、澄みわたった青空の下、透明でひやっこい水の中を何度も往復しながら泳ぐと、連日出歩いてたまっていた心身の疲れがほぐされて、気持ちよかった。プールサイドに並べられたデッキチェアには、水着姿の人達が寝ころんで、ゆったりと日差しを浴びていた。ドイツ語や英語が話されていて、欧州北部の国から来た人達は日光浴も滞在目的の一つのようだった。 



■農園外で体験した想定外トラブル 

農園内は外灯がなく、夜半に外に出ると漆黒の闇。空を仰ぐと、満天の星空??数多の星座も天の川もはっきり見える。不夜城化した日本の都会ではもはや見ることができなディエヴォレ農園外での出来事なのだが、ツアー中に「想定外」トラブルをいくつか体験した。旅にハプニングはつきものだが、今後のために、自ら反省すべき出来事も含めて、二つほど記録に留めておきたい。

フィレンツェ行き乗り継ぎ便がボローニャに着陸!
ローマで乗り継いだアリタリア航空フィレンツェ行きのエアバス機が、フィレンツェから約100km離れたボローニャ空港に着陸した。時刻は夜の11時近くになっていた。その30分ほど前、フィレンツェに近づきもうすぐ着陸だと思った頃に搭乗機は大きな旋回飛行に移り、その旋回飛行が3回も続いた。この間に、客室乗務員2、3人が次々とコックピットに出入りするのが目にとまった。機長によるイタリア語と英語で機内アナウンスが何度かあり、英語で「マシン・トラブル」という言葉があったように思われたが、その他のことはさっぱりわからない。車輪が出ずに胴体着陸でもするためにガソリンを使い果たそうとしているのかな?と内心、不安がよぎった。妻が英語のできる近くの座席のイタリア人青年に尋ねると、「マシン・トラブルが生じてボローニャに向かうと言っている。それ以上のことは自分にもわからない」と説明してくれた(*1)。その直後から搭乗機は旋回飛行をやめて一路ボローニャに向かい、無事着陸。まずはホッと胸をなでおろした。

(*1) その後の話だが、後述のボローニャのホテルで英語ができる年配のイタリア人男性に尋ねると、「車輪のブレーキ故障の警報表示が出たので、機長判断で、本当に故障したのかどうかはわからないけど、滑走路の短いフィレンツェを回避し、滑走路の長いボローニャを選択した」とのこと。

ボローニャ空港に着いて、到着ゲートに移動し、バッゲージ・クレームで荷物を受けとる。11時半頃になって、一人で乗客対応しているアリタリアの女性担当者から「これからバスでフィレンツェへ送ることになった。準備ができるまでここでしばらく待つように」との話があった。そこで、私は空港のサービス・カウンターにある電話を借りて、その夜にイタリア旅行社の手配でフィレンツェ空港に出迎えにきてホテルまで送ってくれる手筈になっている現地スタッフに状況を報告。すると、「何時になっても空港で出迎える。ホテルの方にも連絡入れておく」と快く応じてくれたので、この点は一安心した。

しかし、なかなか事態が動き出さない。荷物が出てこないイタリア人乗客が何組もあって、強い口調で担当者に食ってかかっていた。それまではおとなしく事態を見守っていた感のある他のイタリア人旅行客たち約30名ほども、このあたりからしびれを切らしたのか担当者に声高に質問や怒声を浴びせはじめ、担当者の方も大声で事態の説明におおわらわ。雰囲気も何やら騒然としてきた。この間、説明はすべてイタリア語なので、こちらから「英語でもやってくれ」と頼むと、担当者は「わかった」と返事したものの、その後もイタリア人乗客の対応に追われて、英語での説明はまったくなし。そこで、英語のできるイタリア人青年に頼んで、何度も話の要点を英語で説明してもらった。この青年の親切はたいへんありがたかった。

12時頃になって、「今夜はボローニャのホテルに泊り、明朝6時発のバスでフィレンツェ空港へ送る」と話が変わった。日本人乗客は20人前後いて、その大半の人達が飛び交うイタリア語と英語による情報のカヤの外にあり、何がどうなっているのか要領得ないままだ。そこで英語で得た情報を私たちが日本語で伝えた。再びフィレンツェの上田さんに電話し、「今夜の空港出迎えは不要。フィレンツェのホテルのキャンセルを依頼」を連絡。

手配された大型バスに乗ること約10分、ホテル「シェルトン・ボローニャ」に着いたのは1時前だった。大きくて豪華そうなホテルだが、真夜中の受付係はたった一人。チェックインは乗客が提示するパスポートを見ながらパソコンに向かって片手でポツポツの入力なので、バス1台分50人ほどの乗客を受け入れるのに、たいへん時間がかかり、私たちが入室できた時は2時をまわっていた。朝6時発のバスに乗り遅れるとたいへんなことになるので、おちおちと眠ることもできず。イタリア入りは疲労困憊の長い長い一日だった。


駐車場で他損事故を起こし、イタリア警察のお世話に!!
ディエヴォレ滞在3日目、サン・ジミニャーノに出かけた。昼前に着いたのだが、南側の駐車場が満杯だったので、西側に回る。3台ほど順番待ちしている駐車場があったので、私たちも並ぶことにする。入口、出口とも遮断器が自動開閉する無人の駐車場だ。待つこと約10分、中に入って進んでいくと、駐車スペースの仕切り線を越えて2台分のスペースを占有している車があった。これでは満杯時に入車した1台は必ずあぶれることになる。

急な斜面を切り開いて設けた駐車場なので、途中に急な坂道がある。そこを上りつめたところに、先行の一台が空きスペースにバックで入ろうとしてきた。道を空けるために私の車は少しバックして急坂上でサイドブレーキをかけて待機。先行の車が収まったので、再び上ろうとした。そのとき、ずり落ちないように気をつけようという思いから、かって教習所で習った「坂道発進」の要領でアクセルを踏みながらサイドブレーキを外した。ところがなんと車が後に急発進。アッと言う間もなく、後方1mほどに駐車していた車の横っ腹にドーンとぶつかってしまった!なんという大失敗!! ギアをバックに入れたままだったのだ……。

あわてて降りて、ぶっつけてしまった車(フィアット)を調べると、サイドがベコンとへこんでいる。(後で知ることになるが、反対側のサイドはすぐそばの鉄柵に当たって、もっとクシャクシャにへこんでいた。)私の車も接触した後部トランクの上端が少しへこんでいる。日本でも起こしたことのない他損事故に「こういうとき、何をどうすればいいのか」私の頭の中は真っ白の状態に陥った。

観光を終えて戻ってきたフィアットの運転者(ドイツ人)が警察を呼び、女性警官二人と私服の男性警官一人がかけつけて来た。英語のできる私服警官が双方の車両検査証や運転免許証の提出を求め、手際よく事故証明書を作成してくれた。傷つけた車もレンタカーで、そのレンタカー・サービスステーションからレッカー車がすぐに来て被事故車を積み込むとともに、その代替車の手配をした。

私たちは傷つけた車のドイツ人の借り主に平身低頭、心からのお詫びを言った。英語のできる中年の父親及び同乗の母親、娘2人の人達は、旅の途中ではなはだしい迷惑を受けたにもかかわらず、こちらを怒鳴ったり非難したりすることは一切なく、警察の処理が済んで別れる時には、私たちに「よい旅を続けるように」と言いながら暖かく握手までしてくれた。本当に優しい心根の人達であった。自分が逆の立場だったらそのようにできたかどうか……。今も振り返るたびに、このドイツ人家族の人たちの寛容な心には頭が下がり、深い感謝の気持ちでいっぱいである。

こちらの車は使用上の支障は何らなくて、無事農園に戻った。しかし、心中穏やかならない問題が一つつきまとった。それはフィレンツェ空港Hertz事務所でレンタルした際に、車両保険の説明が一切なく、こちらからも何の質問、確認もしなかったことだ。(アメリカのHerzt事務所でたびたびレンタルした経験があるが、必ず任意保険の加入オプションの説明があり、私はすべての項目に入ることにしていた。)あわててイタリア語で書かれているレンタル契約書を辞書片手に読むと、損害を与えた相手の車の修理費は強制保険でカバーしているが、自分の車の修理費、休業補償費は任意保険の範疇のようである。任意保険に入っているのか入っていないのか、免責額や休業補償費はあるのかないのかなどわからないままの状態が続いた。農園の受付の人に相談すると、Hertz事務所に事故発生の電話をかけてくれた。事務所からの返事は「車が自走できるのであれば、返却予定日に事務所に来て手続きすればよい」というだけ。予定の翌々日、フィレンツェ空港に戻り、心配しながら車を返却した。

起こした事故を伝え、警察から受け取った事故証明書の写しを渡した。意外なことに、事故については何一つ聞かれることなく、事務処理は淡々と進み、「ハイ、これで返却手続きは終了」と言われた。クレジットカード処理のレシートが渡されないので、それがほしいと言ったら、パソコンからプリントして渡してくれた(*2)。 それを見ると、一週間レンタルの総額約12万円で、修理費相当分や休業補償費は明らかに入っていない。念のため「事故の損害費用はすべて保険でカバーされるのか?」と尋ねると、「そうだ」との返事。これで、弁償費用については胸をなでおろすことができた。それにしても、自分のポカミスで他損事故を起こしたショックはいまだに心の片隅に渦まいている。

(*2) 帰国後、3週間ほどして、FirenzeのHertz事務所よりレターが郵送されてきた。米国で借りた時には自宅へのレター送付などなかったので、「追加請求があるのかな?」とおそるおそる封を切ると、このパソコンからのプリントアウトとまったく同じ内容だった。)


レンタカー使用にあたっての教訓
1. 運転操作はあわてず落ち着いて。(←当たり前のことだけど)
2. レンタル時には車両保険で何がどのようにカバーされているかを確認すること。
3. 観光地では駐車場入りの詳細道路マップと関連情報を入手すること。(この点についてイタリア旅行社の方で何らかの方法を考えていただけると大変にありがたい。観光地では駐車場の情報を持っているのと持っていないのとでは、ドライブ中の迷いや心配の度合いが相当に違ってくる。今回、フィレンツェへ出かけたとき、中心街に近づいて最初に見かけた公営駐車場に入れ、そこから中心街まで歩いたのだが、暑い中を40分近くもかかり、それでくたびれて観光はDuomo周辺のみでギブアップ、帰りは駐車場までタクシーを使ってしまった。どうもガイドマップ(「地球の歩き方・フィレンツェ」収録)から外れた場所の駐車場に止めてしまったのが、この失敗の原因のようだ。)



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